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作り笑い、愛想笑いにさようなら


作り笑い、愛想笑いにさようなら

人とコミュニケーションを取るときは、ずっと作り笑いを続けてきた。

嫌われないために「敵意を持っていないんだよ」という笑顔を作って、人の顔色を窺って、取り繕って、素の自分をさらけ出さないで、場の雰囲気を壊さないように腐心して、…そうすることが不器用な自分にできるコミュニケーションの取り方だと思ってきた。

叩かれないように攻撃されないよう目立たないよう、無害な存在然として振る舞ってきた。

根底にあるのは、素の自分を出したら受け入れられないんじゃないかという気持ち、惧れ、自信のなさだ。

実際、作り笑いが身を守る盾になったこともあった。
「いつもニコニコしてるね」そんな風に言ってくれた人もいた。

でも振り回されすぎた。

笑いたくないのに笑う、ずっとそんな嘘をつき続けていると自分の本心がどこにあるかがわからなくなる。
わからないのに、あちこちから綻びが出て、笑顔とは真逆の素の自分がにゅー、にゅーと出てきてしまいそうになる。

笑顔がこわばったりひきつったり歪むようになったのは、かなり前のことだ。

笑いたくないのに笑わなくてはいけないのは、ただの苦行。
笑顔の効果を信じて、苦行を強いてきた。

「口角を上げるだけでもコミュニケーションを円滑にして、ストレスを軽減させ、幸せな気持ちになれます…さぁ笑顔の練習をしましょう」
多分多くの人にとってそれは真実だと思う。それで幸せになれる人もいるのだと思う。
笑顔を鏡の前で研究してそれが苦にならないような人なら、それは愛想笑いじゃなく他者に向ける優しさとして微笑みだ。

けれど私の場合は、何年も作り笑顔を続けて、それが本当の笑顔に変わったらと思ってきたが、結局そうはならなかった。

愛想笑いをしてもしなくても、離れる人は離れていくし、そばにいてくれる人はそばにいる。

それならなぜ笑いたくないのに笑わなくてはいけないのだろう。
笑顔を取り繕えば取り繕うほど、笑いの本質から乖離して、ますます笑えなくなっていく。

愛想笑いで幾つも壁を作って自分を守り、本当の意味で人と関わろうとしてこなかった。
防御壁は、傷つかない替わりに光も差さない。

今は亡くなった祖母が生きていた頃、社会人になった私の写真を見て、「ニコニコして違う人みたい」と言ったことがあった。そのみたては正しい。
ずっと無理をしてきたのだ。

私は笑いたいときに笑いたい。
そのことに気が付いた。

作り笑いをやめても、殊更に不愛想に振る舞まってはいないし、態度を大きく変えてもいない。
今のところ「大勢に影響なし」だ。
以前の習い性で、ときどき出てしまうけれど、まぁそれはそれ。

作り笑いを腹を割っていない、よそよそしいと感じる人もいるだろう。
そんな風に本質を見てくれる人もいる。
多分、過剰防衛だったのだ。

真一文字に結んだ唇に引きずられて、素の自分が少しずつ漏れ出すことを少しだけ期待している。




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