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いつもサービスする役割を担わなくてもいい

いつもサービスする役割を担わなくてもいい

<2016.12.24>

知り合いにすごく性格のいい子がいる。
その場の空気を読んで、自分のしたことで周囲の人が不快になっていないのか、絶えず気を配っている。出しゃばらず自己主張せず、人を立てる。

自分がきちんと役割を果たせているかは最重要項目で、相手にどう思われているかという不安が、いつもその子を覆っている。

自分はサービスする側の人間と位置づけで、常にその役割を担っているように見える。

だけど、その子がみんなに好かれているかというと、ちょっと違うように思える。
その子が優しいのをいいことに、周囲からはいいように扱われているように見えるのだ。
はたから見ていると、いつもサービスする側にいる彼女は、軽く見られ重んじられないように映る。

自分のしたことで、相手が不快になればそれは自分のせいだと思い込んでいるようなふしがある。
相手の快不快の責任は、自分が持っていると思っているんだと思う。

「○○さんがあんな態度を取るのは、私がしっかりしてないからだよね。もっとちゃんとしないと」そんな風に自分を責める。

だけど、誠実な対応を心がけても、それでもそれを好ましく思わない人も世の中にはいる。
色々な感じ方の人がいて、その気持ちはコントロールできない。相手の考えは相手の領域で、他人はどうこうできない。

そこをどうにかしようとすると、苦しくなる。
それで神経をすり減らしているのがわかるので、どうにかしてあげたいと思う。

だから、「人と人との関係は、対等だよ。サービスをする側の役割を引き受けなくていいんだよ」なんて、言ってみたりするが、多分伝わっていないだろう。

現にサービスする役割から彼女は降りない。それは、他の人間関係でも大抵そうなのだ。

誰もその子にサービスする側の人間になれと言ってはいない。

だけど、セルフイメージが低いから、空気を読んで自分を犠牲にして我慢して周囲に尽くして、そうしなくては受け入れられないと思い込んで、一生懸命頑張ってサービスをする。

自分が擦り切れるまで。

多分成長の過程で、人間は2種類、サービスする側とサービスを受ける側の人間がいて、自分は、サービスをする側の人間だと学習したのだと思う。
親がその役割を押し付ける人だったかもしれない。

けれど、小さな頃の構図は大きくなれば変わるし、相手によっても関係性は変化する。
いつもいつも、サービスする側にいなくていい。

人を尊重したり誠意をもって接することは大切だ。でもそれは、自分をなくして、他者に全てを投げ出すことではない。
他人に絶えず合わせようとすれば、自分の軸が定まらず、考え方にも行動にも一貫性が持てなくなる。
これでいいのかどうなのかと、常に他人に答えを求めなくてはいけなくなる。不安は消えない。

それにコミュニケーションを取る相手は一人ではない。土台、全ての人間に合わせるなんて無理だ。

自分軸で生きることで嫌われることもあるだろう。
でもそれがいいと言ってくれる人だって、中にはいるはずなのだ。

サービスをしない自分に価値がないと思い込んでいるのは、自分自身。
他でもない自分自身がその役割を引き受けていることに気付けたら、彼女の優しさに見合う現実が現れるだろう。




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