翌日の多幸感

翌日の多幸感

もう2年以上前になるが、薬を飲んだ翌日のことはよく覚えている。

その日は、美容室の予約が入っていて、美容師さんとは親しげに話すのが普通、というか美容室ではお客さんを繋ぎ止める為に、話題が豊富じゃないといけないというような、暗黙の了解があって、暗黙の了解の下、気を遣って話すのははっきり言って苦手だ。

けれど、何も話さないもの大人げないと思うから当たり障りのないことを話すのだけど、その日は、あまり意識しないでわりと普通に話せたと思う。
「今は本を読みたい気分だからあまり話しかけないで」というような札をどこかに掛けておけるなら、それなりに需要はあるように思う。話したくない人や話したくない日もあるわけで、話すことがサービスと思っているならそれは違うように思う。大概の人にとってはサービスなんだろうけれど。

美容室の帰り道、素晴らしく幸せな気持ちが広がった。
パーマをかけると長くなるので、その後は疲れ切ってどこにも寄らずに家に帰るのがいつものことだったんだけれど、その日は違っていた。

買ったばかりのデジタルカメラを片手に川辺を歩いた。

天気は最高で、暑くも寒くもなく、爽やかな風が吹いていた。
5月の水面も風に揺れる木々の葉、愛嬌のある鴨達が自由に空を舞っては近くに下りてきた。
全てが輝いて見えた。

住宅地に咲く花もとても美しく、シャッターを押し続けた。
疲れを感じることもなく、散歩は続いた。

ネットで調べるとメイラックスの副作用には意味のない多幸感もあるようだ。だから、やっぱり薬のせいなのかと思う。飲んでいるという安心感が気持ちを高揚させたのかもしれない。

幸せな一日だった。

それ以後、気持ちは服用前よりは大分安定していると思うけど、このときのような多幸感は感じたことがない。
疲れ知らずだったのもこのときだけだ。

鬱といえるかわからないけれど、この気分の落ち込みが解消されれば、疲れも改善されるかもと思っていたけれど、薬を飲んでも疲れは相変わらず。精神的なことも勿論関係すると思うけれど、疲れの根本的な原因は別のところにあるのだろう。

あんな気持ちで毎日を過ごせるといいのにと思う。贅沢だということははわかっているけれど。




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