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泊まりに来る友人を断りたい

泊まりに来る友人を断りたい

先日、学生時代の友人が家に泊まりに来た。

数少ない友人で、自分なりに大切に付き合ってきたつもりだ。けれど、しばらく前から泊まりに来られることが苦痛になっている。心が平穏でない今、屈託なく「また泊めてね」と言われるのが辛い。

部屋を片付けて、布団を準備し、タオルを下し、貸すパジャマを新しく買う、そんな一連の作業をしんどいと感じてしまう。私は一人暮らしではないから、家族に了承を得るのも煩わしい。彼女はもう何度も泊まっているから、私が嫌がっているなんて微塵も思っていないのだろうと思う。

大切な友人だし、遠方からせっかく来てくれたのだから泊めて当然と、昔は思っていた。泊まるのも泊まられるのも好きじゃないのに、無理やり自分にそう言い聞かせてきた。友達だからこうしなくては、という縛りに囚われていたんだろうなと思う。 彼女の訪問を私が喜んでいると思わせてきた責任は私にある。 はっきりと断れない自分に嫌気が差す。

今までは泊まられるのは嫌だと思いつつも、それ以外は楽しい時間を過ごせていた。

でも今回は違った。

一緒にショッピングや食事をしたが、心から楽しめない。彼女が帰る時間を気にしている。極めつけは夕飯だった。 予約しておいた個室居酒屋で食事とほんの少しのお酒を飲んだのだが、 よくしゃべる彼女の口元を見ながら、眩暈がしていた。 朝まで何ともなかったのにお腹を壊していた。明らかに神経性のものだ。 相槌を打つのがやっと…そして友達なのに具合が悪いとも私は言い出せない。 窓のない部屋に通されたのも閉塞感を感じさせて更に追い打ちをかける。

彼女がどこかに宿を取ってくれていたなら、そこまで送ってさよならできるのだが、泊まるのだからそれはできない。

なんとか家に着いて、それでも家人が彼女の相手を少ししてくれて、どうにか息がつける。

眠れないかと思ったが疲れていたのだろう、程なく眠りが訪れた。次の日、ショピングを楽しむ彼女を、恋人に別れを言い出すタイミングを計る男の子のように、罪悪感とどこか冷めた感情がない交ぜになった気持ちで眺めている自分がいた。

あなたに会うのがすごく楽しみな頃もあった。私が変わってしまった。ごめんね。元に戻れる日が来るかもしれないし、もう無理かもしれない。

改札を抜ける彼女を見送りながらそんなことを考えていた。彼女の姿が見えなくなると、開放感がどっと押し寄せてきた。

(後日談「コミュ障の人間が泊まりに来る友人を断ったこと」




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