セイヤーの天使

セイヤーの天使

トップ画像に使わせて戴いているのは、アボット・ハンダーソン・セイヤー(1849年~1921年)の天使の絵「スティーブンソン・メモリアル」だ。 セイヤーは、19世紀末から20世紀初頭かけてのアメリカを代表する画家の一人である。1849年にアメリカ・ボストンで医者の息子として生れ、人物、動物、風景など様々モチーフの絵を描いた。天使の絵がよく知られている。この「スティーブンソン・メモリアル」の天使の他にも、セイヤーの娘をモチーフにした天使等、美しいが少し風変わりな天使像を何枚か描いている。風変わりと言ったのは、どの天使も陰りがあってどこか哀しげな雰囲気が漂うからだ。

天使像と言えば、慈愛に満ちた柔らかな表情の天使が頭に浮かぶ。トップ画像では切ってしまっているが、実際の「スティーブンソン・メモリアル」の天使は左上の絵で、全身が描かれている。膝を抱え、VAEAと刻まれたた岩の上に座っている天使は、どこか物憂げで寂しそうに見える。見ようによっては、少しふて腐れているようにも見えてしまう。

この絵の由来はわからないが、この天使の表情が、生きにくい私達を憂えているような気がするのだ。慈愛に溢れた天使の表情なら、それはそれで素晴らしいが、ありきたりだ。ここまで惹きつけられることはないだろう。だからこそ、この絵に惹かれる。

勝手な解釈だが、生きにくさを感じる必要がないことを天使は知っている気がするのだ。答えは自分で見つけなさいと暗に示しているように見える。

憂えの先にあるものを私は見たい。自分以外の何者かになろうとする生き方が一番辛い。私は私。私以外の何者にもなれない。他人と自分を比べる必要もない。

幼い頃は、もっと素直に生きていて、毎日はきらきらと輝いていた。世界はもっと緩やかで遊び心に満ちていた。その中で、ただ無心に遊べばよかった。自我という存在すら希薄で、世界と自分は未分化だった。

社会性や世間体といったものと引き換えに、本当に大切なものを失ってきた。それすらも自分が創り上げた幻のように思える。

自分を受け入れて好きになれば、また別の扉が開けるのかもしれない。

晴れた日には、それが容易く出来そうに思うのだけど。




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